成果主義と育成/教育

今日の話で思ったこと、うまくまとめる自信はないが、書く。
写真でも貼っておけば、時間を経過した後であっても、大きな記憶の固まりをそこから引出すことができるだろうけど、さすがにそれはできないので、文字だけで。
成果主義って、純粋には、「よく実った果実だったら高く買ってやるよ」ってことで、最終的なプロダクトだけにしか興味がないのかな。その最終的なプロダクトを生み出す主体への関心は低いのかな。いちおう、今時の会社なら、「我社の最大の資産は人材です」みたいなこと言ってそうだけど、その言葉が指している「人材」というのは、その会社が求める成果を生産する最終形態になってるモノのことなのかな。なんだか、そこには「人」の変化が見えてこないのはどうしてかな。
入社したての人が英語を勉強したいと思った。仕事上、外国語を扱えることはメリットこそあれ、デメリットはない。「金がないから、その思いを行動に繋げることに投資できない」ということはあるだろう。「語学が堪能になったら、仕事の成果に繋がるはずだ。だから、そこで、その成果に対する報酬はある。つまり、その思いを行動に繋げることには、投資すべきではない」という言葉には、成長を、教育をサポートする意思はないよなぁ、やっぱり。
ただ、現実には成果主義というお題目が大きく掲げられ、正義として通用している。
であれば、会社を単なる生活の一部としてやっていくしかないのか。
会社は自分を切り売りする場所。切り売りするための自分のスキルは会社と関係なく、自分で身につける。仕事での自己実現なんて考えてたら、成果主義を掲げる会社にいいように使われるだけに思えてきた。
うぅん、だめだ。頭ん中でもやもやしてることの10%も文字にできん。
成果主義だろうがなんだろうが、それは、よりよいゴールへ向かうための方法にしか過ぎない。
同じゴールへ向かうんだったら、ゴールにすごくうまい水があるから途中喉カラカラでも走るってのよりは、ゴールへ向かいながら水道水でいいから水分補給しながら走るのがいいなぁ。
甘えですかね。でも、教育フェーズをサポートしてもらえないこと理由に離れるメンバーがいるのであれば、やはりサポートしていただくために、できることをやっておきたいのです。